2009.02.16

母の三回忌

090102_145236 小春日和の、ぽかぽか日差しの照りそそぐ2月15日(日)に、亡き母の三回忌の法要が執り行われた。

一睡忌の時も、小春日和の暖かな日だった。

きっと、天国で微笑んでいるのかなと思える。

前日の夜に実家に着き、朝お墓を見に行き、お掃除をした。

やっぱり朝行って正解だった。ほうきやちり取を借り、お墓もきれいになり、母も喜んでくれている気がした。

法要が終わり、食事をし、後は長男夫婦に任せ帰宅した。

父も、義姉のことを良く言うようになりホットした。

(正直なところ私の心中は複雑だ。やはり父には娘である私のことを一番に思って欲しいが、ここはグッと堪えてその場を早く去ることにした。本当は少しでも長く近くに居てあげたいし居たいと思う。でも夫に叱られた。私の居場所はもうここにはないのかなぁと寂しさがこみ上げてくる。)

後ろ髪を引かれながら、さよならを告げ夫の運転する車に乗り込む。

今度来るのはいつだろう・・・・。

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2008.01.26

父の涙

070303_172059 とても寒いので、実家の父のことが気になり電話した。

父のろれつの回らない口調は、一段と弱々しく聞き取りにくい。

寒くてこたつから出られないようだ。

「早く来ないと死んじゃうよ。」と言う父を気遣い。

泣きながら話す父に、もらい泣きをしながら受話器を置く。

息子の受験が終わったら、合いに行こうと思う。

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2008.01.19

母の命日

今日は母の命日。

何とか母のお墓参りに行きたいと、平日はあまりできない家事をし、夜、夫と車で実家へ向かう。

翌日、父を連れお墓参りをする。

父は長年、檀家総代をしていたので、和尚さんと色々な昔話をしながらお墓に花とお線香・菓子を供える。

これでひと安心。

父の杖を買い、お昼はいつものラーメンを食べに父と3人で行った。

家の片付けを少しすると、帰る時間になった。

泣いている父にさよならを告げ、実家を後にする。

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2007.08.16

新盆

j会社の夏休みを利用し、13日~15日まで夫の運転で、実家に行ってきた。

いろいろハプニングはあったけれど、何とか終え帰宅。

実家のお掃除、庭の手入れなどでかなり疲れた。

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2005.08.19

私が置かれている環境

なぜ、夫と結婚したのだろう?

夫は長男で姉と妹がいる。男一人で随分甘やかされて育ってきたのだろう。どう考えても嫌~な構図だ。何も分からない私は結婚生活に夢をいだきほいほい結婚した。結婚当時は義父母の他に義祖父母も居て元気だった。義妹もまだ結婚してなかったので、同じ敷地内で生活するのは神経を使い大変だった。少しは気に入られていると思ったのに今は蚊帳の外。

義妹は1度離婚し今はできちゃった婚で近所に住み、自分の実家でやりたい放題。義姉も子どもが3人いるのに離婚し我が家の隣に住んでいる。3人の子どもを大学卒業させ、今は仕事をしながら自由な生活を送っているようだ。

このような環境で、私はどう自由になれるというのか?家に居ると落ち着かず、我が家への愛着も湧かない。どう受け入れればいいいのだろう。どう受け入れれば私が楽になれるのだろうと、想い悩んで22年。夫は家のことは全て私に押し付けてきた。

今は自立したいと強く思っている。そのためのスキルも身につけようとしたが、現実はかなり厳しいことを知る。さあこれからどうしよう・・・・。

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2005.08.14

里帰りで得たもの!

8/11の夜7;30頃実家に着いた。

電車で行ったが、予定の電車に乗り遅れ1時間遅れて到着。

夫は既に着いていた。夫と一緒の車で行きたくなかったので、私は電車で行くことにした。

待ちかねた両親は、私が着くと夕食を「くるまやラーメン」に食べに行くと言い食べに行った。

両親は、かなり体調が悪いので、外食などは私が行った時にしか食べに行かない。

私とラーメンを食べに行くのを楽しみにして待っている。唯一の楽しみのようだ。

桃や野菜も、出荷して自分達が食べる以外に、子ども達や親戚にあげるために、大変な手間をかけ作っている。

夏になると必ず、桃・胡瓜・ナス・ピーマン・トマト・オクラ・トウモロコシなどを作り、送ってくれたりする。桃は高くて買えないので、お世話になった人や、ご近所にあげたりすると喜ばれるので、とても助かっている。

でも、今年が最後かもしれない。

両親の状況は、とても野菜などを作れるような状況ではなくなっている。日ごとに衰えているのを感じる。それでも娘や子ども達のためと必死で作業をする。

本当にありがたいと思う。

私にとっては、陽だまりのような居場所だ。心が少しづつ癒されほぐれていく。

無条件に受け入れてくれる場所は、とても居心地がいいと感じる。

同時に必要とされている実感を覚えるが、いたたまれなくなったりもする。

少しでも長くそばに居てあげたいという思いと、私の家はここではないというジレンマが交錯する。

結婚する前は、実家から離れて生活することがこんなに苦しいとは思いもしなかった。

近くに居て、何かあったらすぐ飛んで行き助け合える関係でありたいと、どれだけ強く思っただろう。

でも自分で選んだ道。どうすることもできなかった。

今は、ただこうして、たまに行けることだけでも、感謝しなければという思いでいっぱいになる。

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私が、なぜこんなにも両親との関係にこだわっているのか?

以下の“メルマガ”の内容に答えがあります。

今のままの自分では嫌だったので、原点に返り自分を見つめなおそうと思ったのです。

この歳になってと思うけれど、何歳になっても思った時が気付きのときだと思っています。

早いとか、遅いとか関係ないと思います。

メールマガジン愛する人に愛される方法より

STEP 154 『成長するためには安全が必要』

人間には誰でも、成長したいという欲求があります。
成長するためには、多少のリスクを冒してでも、殻を破って新しいことに挑戦しなければなりません。

しかし、それによって、自分の安全があまりに大きく脅かされるのであれば、成長の欲求は抑えられます。人はどうしても、成長よりも安全のほうを求めてしまうものなのです。

戦後数十年間の高度経済成長期は、日本独特の制度である終身雇用と年功序列というふたつの柱によって支えられていたといいます。

新しい技術を取り入れても古い技術者が職を奪われることはない、また失敗しても会社を追い出されることはない、という安心感があるから、次々に新しいことに挑戦することができました。

成長するためには、まず身の安全が守られなければなりません

反抗期は、子供が一人前に成長するための重要な通過点です。

反抗期を経験することの大きな意義のひとつは、たとえ親に反抗しても自分は絶対に見捨てられないのだ、という安心感がえられることです。


親がその点を理解しておらず、反抗する子供に失望したり、力ずくで「素直な子供」に変えようとしたりすれば、子供は、自分の存在そのものに深い罪悪感を抱いてしまいます。

安全が保障されて、はじめて人は心置きなく成長することができます。
親が子供を変えようとしなくても、「お前は充分に愛される価値がある」と絶対的な安心感さえ与えてやれば、子供は自分の力で成長していくものです。


といっても、叱らずに甘やかしたり、何でも買い与えたりするということではありません。「甘やかす」という態度は、相手を大切に思う気持ちではなく、自分が嫌われたくないという身勝手な不安から生まれるものです。

親が心から子供に敬意を払い、誇りをもたせれば、子供は自ら誇りに恥じないような行動をとろうとするでしょう。

人が成長するためには、「自分はここにいてもよいのだ」という心の居場所が必要です。

自分はダメな人間だ、もっと強く生きたい、と悩んでいる人は、成長することよりも、まず心の安らぎをえることに目を向けたほうがよいでしょう。


成長することによってえられるメリットよりも、失敗したときのデメリットのほうがはるかに大きいのであれば、挑戦をためらってしまうのも無理はないのです。

また仕事で失敗して上司に叱られたらどうしよう、と悩んでいるとき。

もちろん、失敗しないように気をつけることはもちろんですが、それ以上に重要なことは、たとえ失敗して上司に叱られたとしても、自分の人間性を否定されたわけではない、と思うことです。

相手がひどい発言をしようとも、それは相手の人格の問題であって、どう受け取るかは自分の自由です。

他人が傷つくことを平気で言う人は、皆から軽蔑され、つまらない人生を送っていることでしょう。損をしているのは相手のほうであって、自分には関係のないことです。相手の不幸まで背負いこんで悩む必要はありません。

上司がどういう人間であろうと、自分は与えられた仕事を責任をもってこなせば、それでよいのです。

恋人が浮気をしているのではないかと疑ってしまうとき。

ますます疑いを強めることによって安心をえることは絶対にできません。

平気で浮気をするような人は、ふだんの言動からも、「やましいことをしても、見つからなければいい。自分さえよければいい」という態度がにじみ出ているものです。

浮気は、不誠実な内面が表れた行動の一端にすぎません。浮気を禁じればそれですむという問題ではないのです。

恋人の浮気を疑ってしまう人もまた、相手の人間性と向き合おうとせず、「自分に優しくしてくれさえすればいい」といういい加減な気持ちで付き合っているのです。相手を理解しようともせず、信用できないと嘆いているのです。

浮気を怖れる前に、相手としっかり向き合い、その人間性を理解するよう努めなければなりません。理解した上で、そういう相手と付き合い続けるかどうかを決めるのは自分です。

友人にメールを送ったのに返事がこないとき。

自分は嫌われてしまったのだろうか、何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか、と気に病むよりも、「メールの返事がこなくても不安にならない関係」を目指したほうがよいでしょう。

仮に、相手がわざとメールを無視しているのだとして、それで終わってしまうような関係ならば、もともと本当の友人ではなかったということです。

ふだんからよく話し合い、認め合っている間柄ならば、メールの返事がこないからといって不安になることもありません。

「見捨てられる不安」は、また、「自分をないがしろにする人への怒り」でもあります。臆病とごう慢はつねに背中合わせです。

他人から尊重されないことよりも恥ずかしいのは、自分が他人を尊重できないことです。自分の誇りにかけて、自分が他人を尊重しさえすればよい、という開き直りが大切です。

安心をえられないまま、無理に自分を変えようとしても、それができない自分への嫌悪感が深まってしまうだけです。

成長することばかりにとらわれるよりも、安全を脅かされる不安を取り除き、足場を固めることが先決です。

人間には本来、成長したいという抑えがたい欲求がありますので、安心さええられれば、悩むまでもなく成長へと向かうはずなのです。

失敗することの不安を打ち消す方法は、「絶対に失敗しない」という自信をつけることではなく、「失敗することもある」と現実を受け入れる余裕をもつことです。

けっして、愛する人に嫌われてもかまわない、家族を失っても悲しくない、などと感覚を麻痺させてごまかすということではありません。

たとえ何かを失っても、自分がそれを「大切に思う気持ち」だけは消えません。
失ってもなお大切に思えてこそ、本当に大切にしているといえるのです。

大切なものを「失ったとき、どうするか」と考えることが、そのものと正面から向き合うことになります。最終的に頼りになるのは、そういう自分の心もちだけなのです。

以上、参考にしていただけたら幸いです。

いつも落ち込んだ時、迷った時、このメルマガを見て参考にしています。

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2005.07.16

里帰り

blue_hills 今日の、午後6時30分頃家に着いた。2泊2日の里帰り。

14日の夜10時頃実家に着いた。父はその日とても忙しかったようで、昼食・夕食を食べずテレビを点けたまま眠っていた。、母は動けず、布団の上でうずくまっていた。『もう、死んだ方がいい』と言っていた。父と口論になり、ヘルパーさんにも迷惑を掛けてしまったようだ。私が行ったことに驚いていた。母はお腹が空いていたようで、私が駅で買って行ったお弁当のおかずを、むさぼるように食べ眠った。

翌日、朝食を作り、洗濯物・布団を干し、父を病院に送り、畑の野菜を取り、病院に迎えに行った。1時間位待ち(総合病院のため薬を処方してもらうのに時間が掛かる)、帰宅。昼食を食べ、家の周りの草取り、買い物をし、両親の寝室の掃除と床を整え(シーツ・毛布などを洗濯し)ると両親は喜んでいた。父は十分休養が取れた様子で、穏やかな表情になっていた。夕食を食べ落ち着くと、母がお風呂に入りたいと言うので支度をし、かかとの固定された部分は、濡れないようサランラップを巻きビニール袋で覆い、抱えるようにして風呂に入れた。『気持ち良かった』と、とても喜んでいた。落ち着いたのが夜中の0時でテレビなど観て床に付いたのは2時だった。

なんか、すごーく疲れた!

翌朝は早く起きれず、8時頃起床。朝食を食べ、ゴミ出しをし、回覧を4件ほど配り、父の運転でぶどう酒を買いに行く。(危ないので、帰りは私の運転で帰宅)野菜を取り、お昼を食べたら、兄が畑の草取りに来た。片付けをし、帰りの身支度をし、タクシーで駅に向かった。

家に着いたのは、午後6時30分頃。実家から持ち帰った食材で夕飯を作る。変わり映えのしないメニューだと長男から注意された(ふざけるなーと叫びたい気分、作るほうの身にもなってみろよーと、あれこれ言っていたら、大人気ないと夫に言われてしまった。確かにそうかも?)

Nature1-016 実家に行き感じたことは、年を取っても両親の関係はあまり変わっていないということ。相変わらず、母は喋り続け、命令口調で支配する。プライドの高い父は、我慢できず怒鳴りつける。いつもは穏やかな父はSとなり、母はMと化する。

いつものパターンを繰り返す。

私は、親のようになりたくないと必死だった。でもあまり変わっていないのだろうか?他に良い見本の夫婦関係を、あまり知らないから。

愚痴を言い続ける母に、『私は両親のようになりたくない』と思って大変だったことをと伝えたら、少しビックリしていたようだ。(ずーと、私は親や、祖父母に反抗しない良い子だったから)母親に、面と向かってこんな事を言うなんて、以前の私には考えられないことだ。親に意見をすることは「口答えをする」と言って恥ずべきことだと教えられた。

私は、忠実にそれを守ってきた。良い子だっから。

でも今は悪い子?

いいえ、やっと親に面と向き合って話ができるようになったのかもしれない。この年になって初めて・・・。

それから一時だけ、母の言葉使いが、命令ではなくお願いする口調になっていた。でも少しすると、また命令口調に・・・・。

まぁいっか!

疲れたので、お風呂に入って寝よう。                

                               

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2005.07.14

うっっっ・・・

Nature2-005 身体が重く家事がはかどらない。

今日、報告書を印刷してから、実家に行こうと思うが、食料補給とアイロンがけなど、することが沢山あるのに手につかない、どうしたというのか?

この心と身体何とか動いて!

ところで、昨日はお盆の入り。迎え火をたく日だ。

例年だと、義父母と一緒に迎え火を焚き線香をあげてきたが、今年は声を掛ける気にもならず、義父母からも何も言われなかったので、「まっいいか!」と思っていたら、夫が何やら不機嫌な様子・・・・・・。私は、自分の実家でお線香をあげてこようと思う。

いろいろ考えると、頭が変になるので、この辺で実行・実行。レッツゴー!(もう時間がない)                                                                           

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2005.07.13

両親

委員会の報告書がやっとできた。後は校正をしていただき、印刷・配布という手順。

割と簡単に考えていた私にとっては、とても大変な作業に感じ、難しかった。仕事との兼ね合いもあり、なかなかスムーズに進まず、大変だった。何とか形になりホットしています。

良かった。

今、母から連絡があり、『怪我をしてしまった』ということだった

私の母は癌の末期症状。体は痩せ細り、立っているのが精一杯のはずなのにあれこれ心配し動き回っている。(癌であると告知はしていないが本人は余命が長くないのを悟っていると思う)それでも、父と二人暮しのため食事の支度をしたり、畑の作業をしたりと気丈に振舞っている。そんな状況を知りながらも、私は家事・仕事に追われなかなか手伝いに行けない。(電車で片道3時間はかかることもあるが)入院していた時は週に2・3回行ったり来たりしていたが、ここのところ症状が安定していたために1ヶ月以上行っていなかった。父も脳梗塞で入院し回復したとはいっても十分に動けず言葉も聞き取りにくい状態だが、なんとか二人で生活している。

兄達が近くに住んでいるので良く手伝いには行っているということもあるが、やはり娘がいいようだ(家事は兄達にはできないようなので、長男のお嫁さんも忙しいらしくほとんど手伝ってもらえないみたい・・・複雑。)

というわけで、何とか家のことを都合付け、実家に手伝いに行こうと思う。

私の体調の悪い時とか、必ずといって良いほど実家で何か起こる。これは本当に不思議だが、今回もちょうど私が会社を休むと決めた時に母が怪我をしている。やはり親子で通じ合うものがあるのだろうか?

休んでいる場合では無いようだ!!!

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